先日のある晴れた日、日本平までのぼってみました。
この山頂には夏に花火大会を観にくるだけでゆっくりと歩いたことがありません。
ポカポカ陽気に誘われ駐車場から山頂まで歩いてみました。
山頂には方位を示す案内板、南には駿河湾、東には富士山、北の方向には南アルプス、
ぐるり日本中が見えそうな感じです。
案内板の他にもう一つ、銅像が立っています。
昭和生まれの子供なら一度は唄ったことがある「赤い靴 は~いてた 女の子~ ♪♪」
子供のころから異人さんに連れられてアメリカへ行ったとばかり思っていたあの女の子。
横浜の銅像はよく知られていますが、こんな所にも…
そして碑文にはその成り行きが記されていました。
そんな事情があったとは、慣れない北の地、さぞ辛い想いをしたのでしょうね。
野口雨情の詩になる童謡“赤い靴”をはいていた女の子にはモデルがありました。
明治37年7月15日、清水市不二見村(現 静岡市清水区宮加三)に生まれた「岩崎きみ」がその女の子です。
「きみ」とその母親「かよ」とは、故あって北海道に渡りますが、この地で母は、まだ2歳になったばかりのわが子を、アメリカ人宣教師ヒエット夫妻に、その養育を託すさだめとなりました。
やがて宣教師夫妻には母国への帰国が命ぜられますが、このときすでに、「きみ」は不治の病におかされており、夫妻はやむなくこの幼子を孤児院へ残して旅立ちました。
「きみ」は一人、癒えることのない病の床で相見ることもかなわぬ母を慕いながら、わずか9歳の短い生涯を終えたのでした。
いま、この女の子は、東京六本木にある鳥居坂教会の共同墓地に眠っております。私たちは、この幸せ薄い母と子のかなしみに思いを寄せ、母と子をふるさとの地、不二見村を見下ろすこの日本平山頂に、再び相いあわせようと考えました。
ここに全国数万人に及ぶ人々からの浄財を得て、この像の建立ができましたことに、人間の善意と尊厳に大きな感動と希望をおぼえるものであります。
母と子よ、永遠に安らかなれ
「赤い靴」の女の子母子像建設委員会
石碑より